開催地の紹介
浮世絵の開祖『菱川師宣』生誕の地
ここに房州の海辺 菱川氏という絵師
「浮世絵の歴史を語るうえで絶対に欠かせない人物」重要な絵師として浮世絵の開祖と言われている菱川師宣。江戸中期に華開いた『町民文化』。それを題材にした浮世の絵が『浮世絵』。菱川師宣が題材にしたのは浮世に他なりません。移り変わる流行や景観、祭りや遊郭など、これまでに示した題材はどれも目の前にある「江戸の庶民の今」。人々は「今生きているこの瞬間」を楽しみ、絵師はその「今」を記録しました。その菱川師宣が生まれ、晩年を過ごした町が鋸南町保田です。幕末に開催されたパリ万博を起点に、浮世絵がヨーロッパに広がる中、同時期に生きた印象画のアーティストたちが多大なる影響を受けたのは有名な話です。江戸初期に生まれた菱川師宣から始まり、世界に影響を与えた日本の絵画の源流がここにあります。
見返り美人は彼の代表作であり、浮世絵の象徴でもあります。国立博物館に2022年に『未来の国宝展』にてトップの展示を飾り、糸井重里さんの音頭取りで始めた絵の修復に向けたクラウドファンディングでは、1500万円を集め、 現在修復中。2025年秋以降に修復後の見返り美人のお披露目されます。クラウドファンディングにはオノヨーコさんの名前もあり、初音ミクの2次創作の見返り美人は話題を集めました。日本を象徴するアートの原点がこの町にあります。
日本一の大仏『日本寺』
壮大な奈良時代の天平文化を作り上げた聖武天皇の勅詔(725)と光明皇后のお言葉を携え、京より下った行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所。 2025年はその1300年目を迎える。朝廷より日本の国号を用いた日本寺の勅額と宸翰、および金5000貫、皇后からは自ら編まれた三十三観音の軸物と御戸帳料綾錦10匹を賜ったとのこと。法相宗、天台宗、真言宗を経て、徳川3代家光の時代に曹洞宗に改宗している。現在の大仏は1783年に作られた大仏の修復されたもの。岩壁に直に彫刻された石仏としては日本一の大きさの大仏です。
※勅願所とは、時の天皇・上皇の勅命により、鎮護国家・玉体安穏などを祈願する神社。
日本百低山 鋸山 日本百低山 文藝春秋・小林泰彦著(2009年)
『日本百低山』に選ばれている標高約329mの低山です。迫力満点の岩肌が露出しており、険しい山に見える山。しかしながら、初心者でも登山がしやすいトレッキングコースとして利用する人も多い上、ロープウェーや車でも山頂へ行けるなどの手軽さがあります。日本寺敷地が幅広く広がっており、「地獄覗き」や石切り場跡などの有名な絶景ポイントも多いことのが魅力です。比較的温暖な土地柄でありことから、1年を通して多くの観光客が訪れている場所です。 横浜港や、靖国神社、早稲田大学などで利用されている房州石が有名。石切場も多く残っています。鋸南町の鋸は、鋸山から。鋸南町を象徴する山です。
『源頼朝』上陸、源氏復興の地
源頼朝が上陸し、源氏の再興の地となったのは、現在の千葉県南房総エリアの安房国猟島(現在の鋸南町竜島)です。源頼朝は、1180年に伊豆韮山で平氏打倒の挙兵を行いましたが、相州石橋山の合戦で敗れました。戰下手の頼朝はわずかな供を連れて小船で脱出し、安房国猟島に上陸しました。竜島の住民たちは頼朝を歓迎し、力を持つ豪族『上総常広』と『千葉常胤』の力を得て、歴史が作られていきました。頼朝は、この地で英気を養い仲間を集め、その後に義経と合流。「一の谷の戦い」、「屋島の戦い」そして「壇ノ浦の戦い」で平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を開き、征夷大将軍となりました。
南房総周辺には、頼朝の関わる伝説が数多く存在しており、多くの伝承が語り継がれています。勢力拡大に伴いながら「五十騎橋」、「千騎森」と力の拡大を示した地名が残り、上陸した竜島の村人には姓名を与え、今に残っている。「左右加(そうか)」「馬賀(まが)」「鰭崎」「生貝」「芝本」「菊間」「松山」「中山」「久保田」。この当時18戸程度の竜島の村人が平氏に頼朝を差し出せば、その後の歴史はなかった。源頼朝上陸地は、日本の歴史上大きな転機をつくるきっかけになった場所として、千葉県指定の史跡になっていて、上陸碑が建てられています。源氏再興、復活は鋸南町がきっかけとなります。
磐鹿六雁命が料理の祖神となった島
景行天皇が亡き息子・日本武尊を想い、彼が征圧した東国の地を巡幸します。その時天皇が浮島(写真)に立ち寄りました。そこで料理を用意した磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が、日本の料理の祖神とされています。この伝説によると、磐鹿六雁命は狩猟や料理の技術を人々に伝えた神様です。特に、鹿などの狩猟した獲物を調理する技術を教えたことから、料理の神として崇められるようになりました。彼が住んでいたとされる浮島は、鋸南町の名所の一つで、地域の信仰の対象で もあります。この伝説は、地元の文化や伝統を大切にし、食の恵みに感謝する精神を象徴 しています、料理の神が鋸南町に祀られています。
さらに、大沢たかお、柴咲コウ、長澤まさみ、森山未來、山崎努、宮藤官九郎、高橋一生、天海祐希、木内みどり が出演した映画『世界の中心で愛を叫ぶ』のロケ地でもあります。
房総海水浴発祥の地
明治新政府の欧州視察に向かった『岩倉使節団』の参加した長与専斎が英ブライトンの海水浴場に訪問。司馬遼太郎の小説の主人公にもなった幕末明治の医師松本良順など共に海水浴場を作り、全国に広がりました。 海水に身体を浸すことで病気を治療しようとする医療行為から始まったものが、日米修好通商条約の締結以降に来日した欧米人を中 心とする外国人達による、蒸し暑い日本の夏を快適に過ごすために休暇には海浜地域を訪れ、レジャーとしての楽しみをはじめていました。千葉での海水浴は、鋸南町に遊びにきた『夏目漱石』が海水浴を楽しんだことから、 発祥の地とされています。
「之を望めば、峯々嶮巉にして、鋸刃の碧空に向つて列れるが如し、名けて鋸山と曰ふ」夏目漱石が友人正岡子規に宛てた漢文による房総旅行記「木屑録」。学生だった漱石が23歳の夏やすみに友人4人と房総旅行に出掛け、その見聞をしるした漢文紀行。『まず東京から船で保田に向かう。数日間滞在の後、鋸山に登り中腹にある日本寺を訪れ』とあります。そして保田の海岸で海水浴を楽しんだということ。『こころ』にも海水浴の描写がみられる。『 私は毎日海へ這入りに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、此辺にこれ程の都会人種が住んでゐるかと思ふほど、 避暑に来た男や女で砂の上が動いてゐた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしてゐる事もあった。 』と。
※ すべてのイラストはAIが描いたイメージです